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遍歴ダイジェスト

①兵庫県生まれ虫、蛇、ムカデなんでもござれ

私は1985年に兵庫県の宝塚市で生まれました。
周りはまだ田んぼがあったり、川があったりと自然がまだまだある地域で、毎日虫採りをしたり、植物から繊維を取り出して紙を作ってみたり、植物の実や葉をすりつぶして謎の薬(?)を作ったり、一人で黙々と遊ぶ子でした。

②小さいころから絵が好き+おばあちゃんっこ

小さいころから祖母の家でカレンダーの裏白紙やチラシの裏をもらって、絵を描くことが大好きでした。

祖母が手芸が得意だったので、かぎあみや刺繍を教えてもらい、巾着やコースターを作るのがとても好きでした。

③一人遊びで制作意欲が開花

一本の糸から何かを生み出したり、制作活動をする上で、工夫というものが苦にならない歳だったのか、とにかくなんでも作ってみる精神でいろんなものを作りました。

長編の漫画を描いていたので、学年にその漫画ノートが読まれていて、将来は手塚治虫先生みたいな博識な漫画家になりたい、と考えていた時期もあります。

④阪神大震災を経験した小学生時代

小学生の頃は係決めといえば、いきもの係ばかり手をあげて、いつも放課後はニワトリの小屋にいました。オーストラリアに交換留学生として行き、インドネシア人のホストやインド人のホスト宅でお世話になりました。当時、ニンニクいっぱいの料理やインドネシアの発酵食品、インドのあま〜いカラフルなお菓子など、日本とは違う食文化に触れたことも食養生のイベントで活かされている気がします。

小学生高学年のとき、阪神大震災で自宅が全壊被害に遭い、建て直す間京都の親戚の家に疎開していました。

宝塚に帰ってきた頃、庭に飛んできた一羽のインコ。20年以上たった今も一緒に暮らしています。とっても長生きです。

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⑤辞めたことが多かった高校生時代

中学までは生き生きと描いていた絵ですが、高校ではほとんど描かなくなってしまいました。虫や生き物を採ったり、土いじりをすることがめっきり減って、自然に触れることも少なくなりました。勉強を頑張らないといけなくなり、いろんなことを我慢しないといけない時期だったので、次第に本来の自分っていうものを隠してしまうようになりました。

課題や宿題をこなすのに忙しくなったり、当時は絵を描くことで交友関係がうまくいかないことがあったり、入ったばかりの生徒会に熱中してたりと壁に当たったり、泣いたり笑ったり、学生らしい学生であったと思います。

⑥大学の専攻は分子生物学、遺伝子の研究+α

社会や生命環境について、幅広く学習できる総合科学部という学部を選択しました。この学部は当時、面白いカリキュラムを組んでいました。

人文・人間・社会・地域・情報系の様々な専門を学べる、文系と理系が合体したような構成になっていて、興味のある授業を自由に選択できました。

そこで私は環境や生物だけではなく、心理学や経営学、コンピューター情報科学などの授業を受けました。様々な問題が絡みながら社会問題が起きていると感じていた私にとって、いろんな方面から学べる環境があったことで、好奇心を満たせる大学生活を送りました。

⑦うつ病と就職活動

大学2年生の頃、眠りが浅くなり夜に悪夢ばかり見る日が続きました。プライベートではストーカーの被害に悩んでいました。

睡眠薬を飲むようになり、講義に遅刻することが多くなり、友人や先生から注意されることが増えましたが、当時は相談できる人もおらず、一人で悩んでいました。

自転車にナイフが刺さっていたことがあり、怖い思いをしながら過ごしたことも。

3年生、4年生と就職活動が始まりましたが、不安定な気持ちが続き、将来の自分が思い描けない、エントリーシートが全く書けない日が続きます。次々就職が決まる同期を横目に、次第にうまくいかない毎日に自信をなくし、大うつ病を発症してしまいます。不安と焦りの中、就職を諦め、就職浪人をするくらいなら、と大学院進学を決めました。

(遍歴ダイジェストは続きます)

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